早太郎伝説
磐田市見付に鎮座する矢奈比売(やなひめ)天神社は、見付天神の通称で呼ばれている。延喜式内に列した古社である。
例祭は旧暦8月11日前の土曜、日曜に行われ、宵宮には600年の伝統を誇る鬼踊りの神事がある。この神事に加わるものは1週間前に鮫島海岸へ出かけ、潮を浴びて身を清める。宮司はじめ同社の関係者は浜において禊をするとともに、榊をとりつけた鉾に神を依らしめ、12個の浜石と一緒に迎えてきて拝殿に祀る。一方、宵宮の日に、元天神(現社地の東北2キロ)において神籬(ひもろぎ)を立てて祭りを行い、を迎えてくる。神幸のある通り路の数カ所に榊が立てられてい、その場で御柴迎えの神事をする。
その夜は白鉢巻きをして晒しの下帯を腹に巻き、新藁の腰みのをつけ、足袋に草鞋がけといった出立の氏子(男子)たちが、老いも若きも町内ごとに一団となってワッショイ、ワッショイと練り歩き、夜半の花火を合図に続々神社へとつめかけ、拝殿いっぱいに揉み合いを演ずる。町内の先駆けが万灯と鈴とをうち振り数次にわたって気勢をあげる。
真夜中に御輿渡御がある。これに先立って、榊を手にした一番触れが鈴を鳴らしながら町々に渡御を告げて回る。次いで二番触れがやってくると、これを合図に町中消灯する。この時遷座式をすませた御輿が出発する。三番触れが渡御を告げる。行列は大松明を先頭に御輿を奉じて疾走しようとする。裸の群衆はこれを待ち構えていて一斉に群がり寄り、たちまち揉み合いとなる。やがて群衆の拍手に送られて暗闇の中を飛ぶようにして淡海国玉神社へと向かう。着御を告げる花火を合図に再び町中に明かりが点る。
鬼踊りの起源について諸説がある。その一つに早太郎ないしは人身御供となった娘の供養のためというのがある。これは早太郎伝説に基づいており、その名を悉平太郎ともいう。
延慶元年(1308)の昔、ひとりの雲水が見付の村に通りかかり、人家からもれる人々の泣き声を耳にする。この村では毎年、矢奈比売天神社に人身御供を差し出すのが習わしで、当年はこの家の棟に白羽の矢が立ったので娘を捧げることになり、いま別れを悲しんでいるところだった。聞けば怪神が「このことばかりは信濃国の早太郎に知らせるな」と言って現れるという。雲水は早速、信濃に赴いて早太郎を捜した。それは駒ヶ根の光前寺の飼い犬だった。雲水はこの犬を借りて帰ると、ともに白木の唐櫃に潜み、娘に変わって人身御供となった。8月10日の夜更けのこと、例年の如く怪神が現れて唐櫃の蓋をかき破った。その時早太郎が身を翻して怪神に飛びかかった。激戦の末に相手を倒したが、早太郎もまたその場でこときれてしまった。その正体は年を経た狒狒の化け物であったという。
狼のような精悍な面魂をのぞかせた早太郎の像が見付天神の大鳥居の前に立っている。また、光前寺で長くその霊を祀って供養している。
雲水はそのころ天神宮内に在った一実坊に擬せられている。一実坊の写した大般若経六百巻が正和五年(一三一六)に光前寺に施入されている。かくして、天竜川を介して光前寺と見付天神とは深く結ばれている。また、磐田市では駒ヶ根市と友好都市の縁を結び、早太郎の徳をしのんでいる。
早太郎伝説は説話「猿神退治」を素材としている。この物語は全国に広く語りつがれているものである。それによれば、人身御供の村へやってきて、その患禍を取り除いてやったのは狩人と悉平太郎であった。昔、山つきの里は野獣の出没に悩まされた。それらの所では専門の狩人を頼んで、駆除にあってもらった。信濃は諏訪派の狩人の本拠地である。ところで、わが国では古くから山の霊獣、狼を”お犬さま”と称して信仰してきた。北遠はこの信仰の中心をなしている。人人は狼の威力を頼んで野獣を除けたり、人に憑いた狐を追い払おうとしてきた。
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